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ねこかわいい



  一.ねこかいたい!

  初夏の風に薔薇の香りが乗り始めた、レッドブランチスクールの放課後でのこと。
 いつものように四ツ柳が保健室へと顔を覗かせれば、晦が熱心に教員用の机の上に置いたノートパソコンに向かっていた。

「よー、せんせー……」

 仕事中かなと気を遣い、そぉっと部屋の中に入るが、晦の様子がどうにも妙だ。熱心、というよりも気が抜けたような笑顔で画面を見ている。

「はーん、さては誰も保健室に来ないのを良いことに生徒には見せられない類の映像を……」

 そろりそろりと死角から近づいて画面を覗き見てやろうと足を進めれば、晦が「ねこもいいよな。飼いたい……いや、寮じゃ無理か」と呟いた。
 晦が見つめるノートパソコンの画面には、ふかふかのクッションにごろごろと転がる猫が、にゃあにゃあと鳴いている。

「ねこぉ……?」

 呆気にとられた四ツ柳が思わず声に出してしまい、晦が「わ」と四ツ柳の存在に気がついてノートパソコンの画面を少し下げる。

「四ツ柳、居たのか。ごめんごめん」

 晦は微妙に緩んだままの笑顔を見せながら、ノートパソコンを体で隠すようにして四ツ柳へ体ごと向き合う。

「……仕事中に何観てんの?」

「えっ、サボってたわけじゃないぞ!」

 蔑むような目をして見下ろす四ツ柳に、晦はあわあわと弁明するように口を回す。

「これは、えーーーと。その。たまたま、広告が」

「広告の長さでありそうな30秒、とっくに過ぎてるけど」

 しん、と静まり返った保健室内で、ノートパソコンからまた「にゃあ」と可愛らしい猫の鳴き声が聞こえてくる。
 晦が気まずそうに、ノートパソコンをパタンと閉じる。

「………………四ツ柳は猫好きか?」

 にこっと笑顔を向けて、晦がそう訊ねる。これ以上の言い訳は出来なかったらしい。
 やれやれと保健室に備え付けられている椅子に腰かけて四ツ柳は落ち着いた。

「猫? まあ、好きな方だけど」

「お、そっか! かわいいよなー。先生はどちらかというと犬派かな? と思ってたんだけど、最近動画見てたら猫もいいなあ、と……」

「動物全般が好きってことね。先生っぽいなとは思うけど」

 嬉しそうにする晦の姿は、まるで飼い主に褒められた犬みたいだなと四ツ柳は思った。ともすればぶんぶんと振られるしっぽを幻視していたかもしれない。

「入ってきたのが俺でよかったな」

「一応やることは終わってたので…………」

 四ツ柳が蒸し返して生暖かい目で見ると、晦はうっと言葉を詰まらせてもごもごと言葉を返す。
 晦はゆらっと斜め横に彷徨わせてから、そうだ、と思い立ったように棚から飴の瓶を取り出した。

「……飴食べるか? 新作だぞ」

「サンキュー、食べる」

 瓶の中に詰められた飴は、優しい色をした個包装のモノに詰め替えられていた。パッケージを見るとはちみつとフルーツを使ったのど飴のようだ。
 黙っていてくれという口止め料だろうかと、四ツ柳はうっすらと笑う。
   晦はノートパソコンを再び開いて惜しむようにしながら猫の動画を閉じ、黙々と進めるべきだった仕事用のファイルを開く。
 最低限以外の仕事の進みは良くは無いのだろうと想像し、四ツ柳も今日は邪魔をしないでやろうと鞄から出された宿題を取り出した。

 その日は珍しく雑談もまばらになって、ノートにペンを走らせる音とパソコンのキーを叩く音だけが保健室に響き渡る。
 時折、こりずに晦が「ねこかいたいなぁ……」と呟いていた。



  二.ねこかわいい

 晦が猫を飼いたいと呟き始めてから数日後。
 あれから毎日のように、晦がねこ……と呟いてはぼんやりと猫動画を観て葛藤し、その都度四ツ柳から寮で飼うのは駄目だろと制止を入れらてしょげるという光景を、飽きるほど繰り返していた。

  「そもそも猫飼いたいっつってもさぁ、猫の入手経路はどうすんだよ」

 レッドブランチスクールは校則により、教職員とはいえども出入りが厳しく制限されている。ペットショップに顔を出すことすら難しい。
 放課後の帰り道、もしもの場合を訊ねる四ツ柳に、晦は「そうなんだよなぁ……」と気落ちしたように寮へと続く石畳に向かってとぼとぼと歩く。

 ふっと、ゆっくり歩いていた晦が顔をあげて校舎の合間を見つめる。

  「猫だ」

 冗談を言っているような表情では無かった。それが今日までの様子と相まって、少しばかり異常ではないかと四ツ柳の心をざわつかせた。
 こんなところに猫なんて……。

「先生、猫に憑りつかれてない……?」

「え、そうか……? 今たしかに」

 晦がやった視線の先に目をやれば、するりと校舎の合間を進んでいく黒い小さな影が見えた。
 黒猫、だろうか。
 本当にいたんだと思った次の瞬間、目線の先の校舎の裏側、猫が進んで消えてしまった先へふらりふらりと晦が影を追うように吸い込まれていく。

「おい、何処行くんだよ先生!」

 ざわざわした胸の内を抱えながら、四ツ柳はふらりと姿を消してしまった晦を追いかけ、校舎裏へと駆け込んだ。

 校舎の角を曲がり、暗がりに飛び込めば、その先は校舎裏に似つかわしくない自然が広がっていた。
 暖かな春の日差しがふりそそぎ、明るい黄緑色にきらきらと輝く長閑な原っぱが四ツ柳を出迎える。爽やかな草原の奥には、どうやら深い森が続いているらしい。
 一体なんなんだ、もしかして異界に入り込んだのかと呆けて周囲を見回せば、まん丸とした毛玉達に囲まれてしゃがみこむ晦の姿が見えた。
 ふわふわとした長毛の白猫が晦の膝の上に乗り込んで丸くなっており、晦はその毛並みを一回一回撫でまわすたびに嬉しそうに口元を緩ませる。

「おい、先生!」

 大きな声を上げて晦に呼びかければ、晦は興奮でわなわなと震えながらこちらを見上げて来る。

「四ツ柳、これ……。猫、飼ってもいいかなあ」

 にゃんにゃん、みゃあみゃあ。
 ふかふかとした芝生の上をごろごろと猫たちが転がって、まるで僕たちと、私たちと一緒に居てくれと訴えかけるように鳴き声を上げている。

「……一応聞くけどさぁ……何匹連れて帰るつもりなんだ?」

「え、連れて帰っていいか!?」

「学園長とか寮母さんに大目玉くらいたいってんなら……」

 飼うのは俺じゃねえし怒られるのも俺じゃねえし、とポケットに突っ込みながら四ツ柳はそう答えようとしたが、晦が大目玉をくらって目立つようなことになれば、学園を自由に動きづらくなるのではないだろうかと、はたと気がつく。

「いや、俺も困るからやっぱやめてくれ」

「う……でも、学校広いし……。……こんなにかわいいのに」

「可愛くても、環境的に無理なモンは無理だろ」

 あからさまにしょげる晦に、四ツ柳は思わずたじろぐ。四ツ柳だって、実のところ猫はかなり好きな方なのだ。内心とても連れて帰りたい。飼えるモノなら飼ってやりたい。
 それでも無理なんだって! と晦を引っ張って立ち上がらせようとすれば、猫たちが一斉に敵意をむき出した唸り声をあげた。

「……先生、帰ろう。今すぐ帰ろう」

 ぐいぐい、と四ツ柳は晦の白衣をひっぱる。
 猫にばかりかまけている晦の様子もつまらなかったし、猫に歓迎されずに自分だけが威嚇をされていることが、酷く酷くショックだった。

「え、あ、ああ……でも動いたら猫……」

「そんなもん知らねえよ、立てったら」

 膝の上でくつろぐ猫をどうしよう、と狼狽える晦を構わず力任せに引っ張っていると、にゃあーあ……と、呆れたような猫の声が聞こえてくる。
 なんだよとぎっと声の先をにらみつければ、その声の主は只一匹、遠巻きにこちらを眺めていた。
 そういえば、晦が校舎裏に入る前に追っていたのはあの黒猫ではないだろうか。怪我をしているのか、ぐるぐると右腕に包帯が巻かれているのが見える。

「あ、あの猫……。元気そうだな。何日か前怪我してたから手当した猫だ」

 四ツ柳の目線に気がついた晦も、視線を追いかけて黒猫がそこにいることに気がついた。

「……獣医じゃない癖に」

「そうだけど……。ほっといたら可愛そうだろ?」

 宥めるように答える晦に、四ツ柳はふんと不機嫌になって顔をそっぽ向ける。

「四ツ柳、なにか……怒ってるのか?」

 猫に夢中で、ぜんっぜん動いてくれない先生に怒ってるんだよ!と、四ツ柳は口に出さずにぷくりと膨れ面になる。  晦が構い倒す先が猫なってしまって、嫉妬をしているだなんてことは口が裂けても言えはしない。

「……ごめんな。ここ、異界……だよな。いつもより雰囲気違うし、こういうところもあるかと思って油断してた」

 機嫌の悪い四ツ柳を見て、ようやく観念をしたのか膝に乗せた猫を抱きかかえて地面に下ろす。
 にゃあにゃあ、なあなあと抗議をする猫たちを名残惜しそうに見ながら、ようやく晦は立ち上がった。

「俺も最初は、あんまわかんなかったけど。こう、のどかだと油断しそうになるから、ある意味危ない異界だよな……」

 気がつけば、ごろごろにゃあにゃあと、取りすがる猫たちに四ツ柳と晦は二人して囲まれていた。
 晦が離れてしまうから抗議をしているのだろうか、もっと遊んでくれとせがんでいるのだろうか。
 なんだなんだ、と困惑しているうちに、声は次第に大きくなって、ついには一匹が四ツ柳の顔をめがけて飛びついた。

「……っと、うわ!?」

「おわ、大丈夫か!?」

 飛び掛かられて態勢を崩した四ツ柳に対し、猫たちはこれぞ好機と一斉に飛び掛かって来る。次々に飛び掛かる猫の軍勢に、思わず四ツ柳は草地に尻もちをついた。
 頭の上に、胸に腹に足下に、沢山の猫たちがなぁなぁみゃあみゃあと鳴いてじゃれつく。あれだけ警戒されていたにも関わらず、不思議なことに飛びついてきた猫たちには敵意が無かった。
 ざりざりと四ツ柳の頬を舌で舐めたり、てしてしとはねた髪の毛を叩いて遊んで見たり、挙句は地面に下ろされた足の上に乗っかって丸まる始末。

「ーーっ! なにもかも猫が可愛いのが駄目なんだ! 猫のせいだ!」

 払い除けようにも小動物たちの甘い鳴き声に戦意が削がれて払い除けられず、四ツ柳が喚く。
 あわあわと晦が一匹一匹、四ツ柳からべりべりとひっついている猫を剥がしていく。なぁ~と抗議するかのように鳴く猫も、かわいい。

「猫は可愛いよな」

 晦は猫たちを地面に下ろしながら頬を緩め、うんうんと頷く。そうして四ツ柳の顔をじっと見つめながら「四ツ柳もかわいいぞ」と頭を撫でようと手が伸びて来る。

「はぁ……? 何言ってんの……?」

 よもや猫の可愛さに嫉妬していると思われて慰められているのかと思ったが、そうでもないらしい。
 わしわし、と晦の手が四ツ柳の頭を撫でる。
 しかし髪の毛を豪快にぐしゃぐしゃとかき乱されるような感覚ではく、軟骨をぐにぐにと弄られるような心地がする。

「何がどうなってんの………?」

 四ツ柳はわなわなと震えながら晦に撫でられ続ける。認めたくはないと思いながらも、頭上の違和感が酷かった。その上、尾骶骨のあたりにも酷い違和感がある。
 さっきから、服の中で苦し気に暴れまわっている細長いふわふわが居るが、いくらなんでも子猫ではあるまい。

「えっと、かわいい猫の耳が生えてる」

 ふにゃと顔を緩ませて、四ツ柳のことを猫として可愛がる晦が居る。
 恐る恐る自分の頭に手をあててみると、たしかにそこには猫の耳が存在した。ぐりぐりと指の腹で耳らしきものを揉めば、揉まれた感覚が返って来る。

「ええー……マジか。ここ、留まってると猫になっちまうのか……」

 こんな異界の影響があってあたまるか、と盛大にため息をついた。
 ズボンのベルトを少し緩め、窮屈そうに暴れていた尻尾を外に逃がしてやる。ふわふわで手触りが良いのが悔しい。

「うー……ごめん! 異界はやっぱり異界だな」

 名残惜しそうにしながらも、晦はそこそこに四ツ柳を撫でていた手を離す。

「いや、まあ、いいよ、完全に猫にならなきゃ……」

「そ、そうだな! 四ツ柳が猫になる前に……猫……」

 四ツ柳が纏わりつく猫を振り払って立ち上がると、少しばかり離れた場所でじっとこちらを見つめ、ぺしぺしと地面に尻尾を叩きつける黒猫が目に入った。

「うお、早く来いって言われてる。何かあいつ、先生に用があるんじゃねえの」

「ん、用……?」

 そっちに向かえばいいのかと、黒猫のいる場所へ歩みを進めようとした瞬間だった。
 猫たちが大合唱をし始める。
 みゃあみゃあにゃあにゃあ。
 次第に猫たちの声は大きくなり、気がつけば数えきれないほどの猫たちがどっと周囲に押し寄せて来た。
 小さな猫が集まり波となり、人間二人を抱えて進んでいく。

「おわっと、突然だなおい!」

「あ、今すごい、猫の恩返し……!」

 猫たちの波に振り落とされないように、四ツ柳は晦の身体を掴む。バランスをとる為に、ゆらゆらとついたばかりの尻尾が揺れる。

「えっ、何? あの黒猫が手当のお礼をしてくれるって話なら、いいんだけどなとは思う、けど?」

「ああ、たしかに。猫の恩返し的に……は、どっちかな」

 視界の端で、あの黒猫がひらりと猫たちの上に飛び乗っているのが見えた。

「じゃなくって、大丈夫か?」

「今んところは」

 猫を下敷きにしている罪悪感はあるけどな、と二人して靴をやや浮かせながら、されるがままに運ばれていく。
 猫の波はそのまま草原向こうの森へと入り、奥へ奥へと進み、やがて一軒のドールハウスのような可愛らしい家が見えて来た。



  三.おかしな家

 クリーム色の壁に、赤い瓦を敷かれた三角屋根の家へとたどり着く。
 焦げ茶色のドアを猫たちがぐいぐいと頭で押してこじ開け中に入ったかと思うと、猫たちは足並みをそろえた行進をやめ、四ツ柳と晦は床へとほおり投げられる。
 ここまで二人を連行してきた猫たちは自由気ままに家の中や外へちりぢりに去っていく。

「置き去りにされた……。なんなんだあいつらは……」

 此処にいる理由もないと、床にほおり出された体を持ち上げて四ツ柳は来た道を戻ってドアノに手をかける。
 ガチャガチャと幾度も捻るが、一向に開く気配はない。
 誘拐された上に、閉じ込められた。
 観念して周囲を見回せば、中央にどんと置かれた大きな天蓋付きのふかふかとしたベットが真っ先に目についた。
 ベッドの上には体長40㎝程の大きな長毛種の猫がどんと居座っており、ふてぶてしくじっと眠りについているらしかった。
 横には美味しそうなお菓子や、紅茶のポットが置かれたテーブルが備え付けられており、パステルカラーのキャットタワーが幾つか並んでいる。
 家の中ではまばらに、猫たちが各々くつろいでいるようだ。
 だらんと寝そべる猫たちの中に、こちらの様子を伺うようにしてあの黒猫がじっと見つめてきている。

「女子が喜びそうだなあ、この空間……」

 随分かわいらしい空間だと、四ツ柳は疲れたようにため息を吐いて思う。猫好きの女の子とのデートコースで、猫カフェでも行こうかって誘った先がこんな可愛い部屋なら喜ばれはしそうだな!等と一人で考えておどけてみるが、げんなりとした気分は紛れない。なにせ自分も猫になりかかっているのだから。
 そういえば晦はどうしたのかと部屋の真ん中の方へ踏み込めば、ベッドに腰かけぬいぐるみのようにふわふわの猫に寄り添って撫でているのが見えた。

「おい、先生……」

 呆れながら呼びかけようとした矢先、四ツ柳はむっとした臭気を感じる。
 テーブルの横に備え付けられたお菓子の甘い匂いに混じって、何かを腐らせたような饐えた臭いが鼻をついた。
 部屋の真ん中へ踏み込むたびにその腐臭が強くなる。
 なんだ、どこからだと警戒して周囲をじっと見れば、あの黒猫以外の猫が一匹として動いていないことに気がついた。
 丸まって寝ているだけかと思っていた、近くの小さな子猫に触れる。
 それは、冷たくなった只の肉の塊だった。
 慌てて晦が撫でているベッド上の大きな猫を見れば、それもまた息をしている様子はない。ベッドのシーツには、赤黒い染みがじわりと広がっていた。
 手にどろりと濁った体液がついてしまうことにも構わず、晦はふやけた笑顔で猫を撫で続けている。

「ちょっとその猫から離れてこっち来い!」

「え?」

 大きな猫から引き剥がすように、のんきな様子をした晦の首根っこを掴んで引っ張った。
 その瞬間、四ツ柳の視界は一変する。
 目の前の大きな猫はごろごろと喉を鳴らして離れた晦の手に擦り寄ってきた。
 キャットタワーの上で物言わぬ塊と化していた筈の周囲の猫たちも、なごなごと鳴きながら自由気ままに室内をうろつきはじめる。
 晦は猫を構いすぎて叱られたのだと思ったのか、「あ、ごめんごめん。またうっかり」と四ツ柳に笑いかける。

「えっと、せっかく休めそうだけど……」

 どうしたのかと訊ねる晦に四ツ柳は片手で顔を覆った。そうだった、異界では見えているものが違うんだ。
 晦に触れることをやめれば、にぎやかだった部屋は瞬時に静まり返り、腐臭を放つ。
 視界を借りなきゃ落ち着いて話せはしないなと、四ツ柳は晦の袖を掴んだ。

「言いにくいんだけどな……。俺の目に見えてるものと、先生に見えてる光景が驚くほど違うんだわ」

「あ、そうか……そんなに違う?」

 晦がきょろきょろとあたりを見回して、「かわいいねこしか見えない」と呟く。怖がりな上に猫を好いている相手に、この真実をぶつけるのは心苦しいが、告げないという選択肢はないだろう。

「悪いけど、命に関わるとまずいからオブラートに包まねえぞ。その可愛い猫は全部死んでピクリとも動かねえよ。可哀そうなことにな」

 あの黒猫を除いて、と付け加えて四ツ柳はこちらの様子を伺っているらしい黒猫を見る。黒猫はキャットタワーの上で動かなくなった猫たちの合間をうろうろとしており、相変わらず何を考えているのかはわからない。

「……え、そう、なのか」

 あれだけ明るく笑顔でいた晦も、眉を下げて俯いた。
 晦の足元に、みゃあと一段と可愛らしい高い声を上げて子猫がじゃれついてきていた。

「こいつらに、何があったんだろうな。先生にお礼をしたかったんじゃなくて、助けを求めに来てたのか……?」

「助けてほしかったのか? わからないけど……何も出来なくてごめんな」

 晦はしゃがみこんで子猫の背を優しく撫でる。
 その拍子に晦の袖から四ツ柳の手が離れて、再び遺骸だらけの部屋に視界が戻る。
 晦が撫でている子猫は、やはり冷たく動かないままだった。

「にゃあ」

 不意に、鋭い声が聞こえてくる。
 振り返れば、キャットタワーに埋もれるようにしてあった窓をガリガリと引っ掻いている黒猫がいた。
 どうやら猫の手では窓を開けられないらしく、たしたしと窓を叩いては、にゃあと鳴いて四ツ柳と晦を呼びつける。
 四ツ柳は床に散らばる遺骸を跨ぎ、黒猫が呼ぶ場所へと近づいた。

「開けろってか?」

 四ツ柳が訊ねれば、黒猫はたし、と窓を前脚で叩く。
 この家の窓は上げ下げ窓のようで、かなり錆びついてしまっているが、力をこめれば内側から開けられそうだった。

「手が人間のままでよかったな、っと!」

 ガリガリガリと音を立て、窓を動かすたびに錆がぱらぱらと落ちていく。
 最大限まで大きく窓を持ち上げる。
 窓の向こうには薄暗い森が広がっており、その向こうに見える空が、薄い藍色へと変わっていた。
 黒猫が窓を開けた四ツ柳の腕をするりと通り抜け、たんと窓から外に降り立つ。

「四ツ柳出られそうか?」

「せっまいな……。俺らは猫みたいに液状になれないんだっての」

 四ツ柳は窓から顔を出し、壁に手を当てて無理やり体を通していく。身体を捻るたびに生えた尻尾がバタバタと暴れまわるのがわかる。
 太腿が抜けたあたりで手を地面について、ごろごろと地面に転がった。

「出れた! ちょいきついから先生頑張って、こっちから引っ張るし!」

「あ、うん。やってみるか」

 詰まったら引っ張ってやろうと窓の外で構えていた四ツ柳だったが、窓の内側から「えーっと、脚からのほうが着地が……四ツ柳ちょっと避けてて」と声をかけられる。
 すらりと伸びた脚が一本ずつ窓から飛び出して、二本同時にゆっくりと折れ曲がったと思えば、胴体と頭がするりと窓から抜け出て来る。

「意外といけたぞ!」

「あー先生、タッパあるってだけか……」

 「んー運動不足だから、身体が痛い……」と呻きながら、晦は曲げた脚を伸ばして立ち上がって伸びをする。すらりと伸びた脚が羨ましいと、四ツ柳は晦を見上げながら思う。
 見上げれば四ツ柳の尻尾がぴんと伸び、晦の声を拾えば頭上についた猫の耳がぴくぴくと動く。猫になってしまった部分にも徐々に慣れ始めている自分に、異界に負けてしまった気がして四ツ柳は悔しくなった。

「猫、大丈夫か? 黒くて見えないな……」

「お猫様はちょっと先で待っててくれてるんじゃねえか?」

 薄暗い森の奥で目をこらせば、道の先で座り込んでこちらをじっと見つめる金色の瞳が見える。

「よし。いこうか。猫の恩返し……だといいなあ」

 言いながら晦は手を差し出そうとして、迷った様子で四ツ柳を見た。

「見えてるもの、どっちがいいんだろうな」

「どっちも確認出来るのはアドなんじゃねーの。隠さずに報告してくよ。で、都度ちょっと休ませて」

 四ツ柳は差し出されかけた手を自ら取りに行き、ぎゅっと握る。

「ん。見てるもの辛くなったらいってくれ」

 二人は手を繋いで、更に深い深い森の中へと進んでいく。
 包帯を巻いた黒猫の背を追いかけて。



  四.猫の森の道

 悠々と、黒猫は二人がついてきたのを確認し、にゃあと鳴いて歩き始める。
 森の奥へと続く道は、次第に出てきた月の明かりにかろうじて照らされるばかりで、黒い猫の身体は闇へと融けていく。浮かんで見える黄色く光る目と白い包帯を頼りに視認する他なかった。

「……あの黒猫はなんなんだろうな」

「最初に見た犬っころと同じような存在かと思ってんだけどさ、先生的にはどう思う?」

「んー。助けたのは覚えてるし、その時は異界じゃなかったと思うんだよな。犬の時は……結構深いところにいたし。猫、そんなに悪いものの気もしないんだけど……」

 異界も色んな所があるみたいだからなあ、と晦は渋い顔をする。
 そんな二人の悩みなどお構いなしと言うように、背後から黒猫以外の可愛らしい猫の甘い声が聞こえてくる。
 再び晦の足元に擦り寄ってくる猫たちは、歩くことを邪魔しているようだった。

「……目の前の猫に気をとられて転んだりするなよ」

「あ、うん。っと」

 足元の猫を踏まないようにとまごついて、歩幅が大きい筈の晦の歩みは遅々として進まない。
 黒猫の向かう先を視界に捉えながらも、四ツ柳は出来るだけ歩きやすい地面を選んで晦を引っ張っていく。

「四ツ柳は……道、見えるのか」

「道? ああ、なんか目が慣れるのが早かった気がするというか……」

 そういえば、普段よりも視界が白んで見える気がする。月明かりが強いんだなと感じていたが、晦の様子からしてそうではないのだろう。
 段々と猫じみてきているなと、四ツ柳は己の耳を空いた片手でそっと触れた。

 暫く歩みを進めていると、変化のなかった薄暗い森の中でざわりと木立が揺れた。足下に何か柔らかい感触のようなものを受け、思わず四ツ柳は晦の手をするりと離してしまう。
 猫だ、今の感触は猫だったと思う。
 次の瞬間、見えていた筈の視界が完全に閉ざされ、真っ暗闇に包まれる。

「四ツ柳!?」

 視界を奪われて前後不覚になり、思わず膝をついてへたり込む。晦の声が問題なく聞こえていることから、近くに居るのだろう。にゃあ、という声が一つ聞こえる。これはあの黒猫のものだろうか。
 四ツ柳が思考を巡らせていれば、しゅると布の擦れるような音がして、目前から光が差し込む。
 視界の先から大きな手が伸ばされて身体が抱き上げられた。
 光源のある場所へと連れ戻してくれたその手は、違和感はあるが晦のもので間違いなかった。
 視界の先には心配そうに覗き込む大きな晦と、立ち止まって目を細める黒猫が確認できる。

「ああ、えっと、怪我とか」

「怪我以前に、大丈夫ではない気もしてきた」

 無いか、大丈夫かと続かせたかったのだろう晦の言葉が途切れる。
 ぱちくりと四ツ柳は目を瞬かせた。晦が巨大化しているのだ。
 いや、遠くで自分を見ている黒猫も巨大になっている。

「……? いや、大丈夫だと思うんだけど……」

 何が起こったのかわからず、四ツ柳は首を傾げる。もしかしてこの視界のおかしさは自分が原因かと、四ツ柳は頭を下に向けて自身の身体を眺める。
 自分の身体は白いシャツしか身につけられておらず、ぶかぶかになった運動靴が小さな足に引っ掛かって、辛うじてズボンやベストが離脱せずに纏められてる。下半身がやけにスース―するなと思えば、ズボンと一緒に下着まで脱げ落ちていた。

「……な、な、なんだこれーーーーっ!?」

 一瞬の隙に小さくなってしまったらしい自分の身体に、思わず絶叫をした。心なしかどころではない、声すら幼くなっている。
 丸くて柔らかそうになってしまった手をわなわなと見つめていると、「……か、んんっ」と状況に不相応な言葉をこぼしかけて晦が口元を押さえる。

「可愛いとか言うな! 言うなよ!」

「うっ、まだなんもいってないぞ……!」

「先生ほんとーに、わかりやすいんだよ!」

「ごめん、ごめん!」

 やいのやいのと叫び、動くたびにずるりと服がずり落ちる。100㎝にも満たない小さな体になってしまっても猫の耳と尻尾は健在のようで、四ツ柳の感情に合わせて尻尾がたしたしと地面に落ちた洋服を叩いていた。

「異界のいつものあれだろ! 大丈夫、大丈夫、帰れたらもとに戻ってるって、きっと……」

 とりあえず、と言って晦が首元までしっかりとシャツのボタンを留め、余った袖をぐるぐると捲る。

「ほんと……進んでる途中でコレなの勘弁してほしいわ……」

 何も出来やしないと、四ツ柳は地面に落ちた服を拾い上げる。ネクタイにベルトに、小さくなってしまった自分には何もかも身に着けられない。
 晦がこの先どれくらいかかるかわらないしなぁ……と呟いて、小さくなった四ツ柳を覗き込む。

「あーー抱えていってもいいか? 歩くの大変だろうし」

 晦はにこっと笑って、両手をぱっとひらいて伸ばしている。

「もうそれが一番良いかもしれねーな……。頼むわ先生……」

 四ツ柳は未練がましく掴んでいた衣類を地面に置いて、観念して両手をあげる。
 晦が四ツ柳の頭とお尻の位置に手を差し入れ、よいしょと一気に持ち上げた。衣服はシャツ以外全て脱げ落ち、四ツ柳はシャツ一枚にくるまれるようにして肌を隠す。

「あ~~屈辱~~~~」

「えっ、そうか?」

 四ツ柳は抱かれた腕の中で丸くなりながら、晦の胸に顔を埋める。晦の表情は少し伺いづらいが、声色から笑顔でいることがよくわかる。

「えーっと服も持ってこうか? 異界だし、どうなるかわからないけども」

「最悪、制服は替えがあるんだけどさ。靴! 靴はちゃんと持ってって!」

 指をさしたホワイトカラーに赤色をさした運動靴は、晦に功労賞として贈ったぬいぐるみと共に自分へのご褒美に買ったものだ。
 臨時収入にウキウキしながらネットで少し高めの靴のカタログを捲り、購買で配送を頼み、ようやく先日届いたばかりなのだ。

「靴な。わかったわかった」

「いやでも、命のほうが大事だから最悪捨ててっていいよ……」

 晦は片手で四ツ柳を抱き支え、もう片方の腕に靴紐同士を結んだ靴と、纏めて折り畳んだ服を腕に引っ掛ける。
 何もできない悔しさに唇を噛みながら、四ツ柳は近くまで来ていた黒猫をじっと見つめた。
 漆黒の身体は闇に融け、黄色い目を細めてこちらを凝視している。

「……もう準備は良いの?」

 凛、とした声が耳に届いた。
 四ツ柳の耳がぴくりと反応して、どこから発せられたものかと周囲を探る。
 あたりを見回せど、この場所には四ツ柳と晦、それから目の前の黒猫しか存在しない。

「良いなら進むけど」

 黒猫の口が動いて、音が聞き取れる言葉に書き換わる。

——怪我以前に、大丈夫ではない気もしてきた。

 そういえば、暗闇の中に連れ去られて晦に覗き込まれている際、誰かの声を聞き取っていた気がする。

「こっちだよ。帰りたいならついてきて。そののんびりした人間を助けたいならね」

 やはり黒猫が口を開ければ、晦のものとも四ツ柳のものともとれない、きりりとした声が発せられる。

「しゃべ……った? 喋ってるよな!?」

 晦の肩から乗り出し、四ツ柳は黒猫を指さす。晦は四ツ柳を肩で支えながら困惑した表情を見せた。

「……え、猫が?」

「えっ、えっ……? 先生には聞こえないのか?」

 お互いが困惑して顔を突き合わせる。四ツ柳が晦に抱き上げられているせいで、文字通り目と鼻の先に顔がある。
 パタパタ、と四ツ柳の耳が揺れる。

「猫が喋ってる……? いいなあ。四ツ柳、猫の言葉聞こえるようになったのか」

「今まで聞こえなかったのが聞こえるのって、だいぶ恐怖だからな!?」

「僕だって人と話せたの初めてだからびっくりだよ。そっちの人間には聞こえないみたいだね。異界にのまれてないから?」

 わいわいと言い合うが、猫の声はどうやら四ツ柳にしか言葉として聞こえないらしい。
 きょろきょろと晦と黒猫を交互に見合いながら、四ツ柳は晦に「帰りたいならついて来いって、あいつが」と伝える。

「お、帰り道を知ってる猫だったのか。よかった」

 晦は暴れてずれた四ツ柳を勢いをつけて抱え直し、笑顔で黒猫に向き合った。
 ああ、猫にものんびりしていると言われるわけだと四ツ柳は呆れて肩にぽすんと顔を埋める。

「帰り道は知ってるような知らないような……だから。そののんびりした人間に伝えてよ。その人ならわかるんじゃない?」

「まあ情報源が増えたのは有難てぇかな。どのみちお前を信じるしかないし、逐一伝えるわ」

「何? 何の話してるんだ? いいなあ。先生も猫と話したい……」

 会話の仲間から一人外れてしまっている晦が、羨ましそうに四ツ柳を見た。晦には、にゃあにゃあと喋る猫に話しかける四ツ柳、という光景に見えるのだろう。

「ってことで、そこの黒猫は帰り道はぼんやりしかわかんねえっぽいんだけど。先生何か見えてたりしない? 犬っころの時みたいにさ、ぼんやり光ってるとか」

「えーっと、まだ何も見えないな」

 晦が少しだけ伸びをしてあたりを見回すが、それらしきものはないようで首を振る。

「そ、じゃあ、もうちょっと奥かな」

「まだ奥に行くってよ。周りちゃんと見ててくれよ」

 四ツ柳がそう伝えれば、晦は進み始めた黒猫の後ろについて歩き出す。夜目をきかせて時折四ツ柳が足元の不安定さを警告しながら、晦は黒猫を見失わないように森の奥深く深くへと足を進めていった。



  五.猫の森の主

 ざわりと、森全体が蠢いた気がした。
 なあなあ、にゃあにゃあ、木々のざわめきが猫の鳴き声へと変わっていく。
 四ツ柳は警戒をして、晦の腕から身を乗り出して耳をそばだて、ぴくぴくと動かす。

 がさり、と木立がゆれる。
 真っ暗な木々の向こう側に何かが居た。
 空に昇っている月のよりも更にまん丸く大きな月が正面に……ではない。これは猫の瞳だ。
 巨大な猫が、この森の地を踏みしめるもの全ては我がものだと言わんばかりにどしりと構え、その場で動くものを凝視していた。
 それは新たにこの地を踏みしめた四ツ柳と晦も例外ではなだろう。
 巨大な猫はずしりと地面を踏みしめ、ひくひくと鼻を動かしながら侵入者の気配を感じて周囲を警戒し始めた。
 よく見れば、その猫は巨大である以外にも普通の猫では無かった。
 背中がバスのように人が乗れる作りになっているようで、ふさふさとした座席は、とても座り心地が良さそうに見える。

「ねこば」

 晦が嬉しそうな声を上げ、片手で口を抑える。瞳を見ればきらきらと少年のように目が輝いている。
 晦の反応とは対照的に、四ツ柳はぞわりと全身の毛が逆立っていた。目の前にいる圧倒的強者に見つかれば、自分はなす術もなく潰されてしまう気がした。

「先生、下ろして」

「え、あ、大丈夫か……?」

「状況確認だけするから」

 晦の腕から身を乗り出し、四ツ柳は下ろしてくれとせがむ。晦の視界を借りない場合、どうなって見えるのかを確認したかった。
 目の前の巨大な猫は、四ツ柳の目にどう映るのかを。
 晦にゆっくりと地面に下ろされ、晒された小さな素足が土を直接踏みしめる。
 再び巨大な猫に目線をおくり、四ツ柳は驚愕する。
 巨大な猫の大きく光る両目は三日月のように鋭く細目られ、耳まで裂けた真っ赤な口の中から鋭い歯がのぞいていた。
 開かれた巨大な口からは、にゃあ、としゃがれた声が発せられる。
 背中には、まるでバスの窓のようにいくつもの大きな穴が開き反対側の森が透けて見える。
 けれど先程まで見えていたキャラクターめいた作りの名残など何処にもなく、その穴からは皮と脂肪の断面が見えていた。
 中身はそっくりえぐり出されたように空洞で、鮮やかな赤い肉が僅かに盛り上がる。
 うごめく臓器からは、消化されかけたものの生臭い匂いが立ち上っていた。
 思わず、四ツ柳は声にならない悲鳴をあげてよろめく。

「わ、大丈夫か」

 晦がよろめいた四ツ柳を抱きとめ、そのまま再び抱え上げる。ついでと言わんばかりに、ぴょんと黒猫が四ツ柳の頭に飛び乗った。

「さっさと逃げよう。これに乗ったら帰れないよ」

「見てて、よかった。こいつに乗ったら帰れないだろうな、本当に」

 四ツ柳はぎゅっと晦の服を掴んで呟いた。あれの姿に騙されて乗ってしまった獣達は、ここに紛れ込んだ人たちは、これに消化されてしまったんだろうかと四ツ柳の脳裏に浮かぶ。

「……何が見えたんだ?」

「知らない方がいい。とにかく、あれは戦っちゃいけないものだし、近づいても駄目だ」

 恐怖で体が震えあがり、晦の腕の中で四ツ柳は息をひそめるようにきゅっと小さくなる。心なしか、しっぽがぼわりと大きく膨らんでいるのが見える。
 晦は震える四ツ柳の背中を撫でながら、巨大な猫の向こう側を見る。

「そうだ、四ツ柳。あの……猫の向こうに光ってるのが見えるんだ」

「出口、あいつの向こうなのかよ……。隠れながら目指すしかないのか」

 その時、巨大な猫がにゃあごと大きく鳴き声を発する。
 侵入者を見つけたぞと言わんばかりに、のそりのそりと巨躯を動かし、まんまるな大きな目を愛嬌たっぷりに細めた。

 くそ、と小さく舌打ちをして四ツ柳は晦の腕から飛び降りた。
 晦から離れた瞬間に嫌な腐臭が鼻を突く。
 あんな大きな猫に追いかけまわされたら、たまったものではない!

「あっちが出口らしいから、あれを潜り抜けられる抜け道見つけたら探してくれ!」

 黒猫に呼びかけて、晦が光っていると示した場所に向かうルートを開拓しようと四ツ柳は小さな体で走り抜ける。
 幸いなことに、あの大猫の身体には機動力が無いらしく、ちょろちょろと動き回る猫と子供を捉えきれないでいた。
 となると、一番捉えやすい晦が狙われやすくなってしまう。早く誘導しなくては。

「四ツ柳、どこ行くんだ、ああもう!」

「ぼさっとしてんなよ! 俺について来い!」

 黒猫が潜り抜けた廃材の隙間を、四ツ柳は幸か不幸か幼児化した体で潜り抜ける。反対側に回って力いっぱい廃材を引っ張り、空洞を広げる。
 廃材が引っこ抜かれた反動で、四ツ柳はごろごろと地面を転がった。

「もう、まったく」

 晦はため息のような安堵したように息をついて、わずかに開かれた道をくぐっていく。
 傍に転がっていた多数の廃材を背後の道に倒してから転がった四ツ柳に晦が手を差し出した。
 ぴょんと、それを見た四ツ柳が晦の肩めがけて飛び乗る。猫の仕草に慣れつつある自分に、危ういなと四ツ柳は顔をしかめた。

「四ツ柳が何でもしちゃったら先生のかっこつかないだろ」

「かっこなんかつけなくていーんだよ。あんたは出口を示す指揮官役! そんで、光の発生場所は何処だ?」

 先を進んで道を探していた黒猫が戻り、晦の頭へ飛び乗った。

「出口ってどこか見えないんだよね」

 ぴんと背筋を伸ばして、黒猫が遠くを見る。
 「ああ、あの光?」と呟いて黒々とした瞳孔をきゅっと細めて見つめた先を見れば、道の先に森の闇がひび割れて光が見えている空間があることが四ツ柳の目でも確認することが出来た。

「あー、あそこか。じゃ、最後の全力疾走は任せた!」

 四ツ柳がびしりと光の方向へ指をさす。ぜーはーと荒い呼吸になりながら、晦は己の運動不足を呪うかのように「四ツ柳と一緒に走るかなあ」と言葉をこぼす。

「しっかりつかまってろよ! 猫も!」

 ずり落ちないように再度片手に抱いた四ツ柳を抱え直し、晦はラストスパートをかける。

 なあなあ、にゃあにゃあ、ぎゃあぎゃあ。
 次第に耳障りとなっていく猫たちの大合唱が背後で聞こえてくる。ずしりずしりと地面が揺れ、巨大な猫がすぐそこまで近づいてきていることが振り向かずともわかった。
 道の先が、不自然に歪みはじめる。
 引き連れを起こしたような光が漏れている空間に、晦は迷うことなく足を踏み入れた。

 やがて視界は光りに包まれーーーー
 猫の声は聞こえなくなった。



  六.新しい仲間と共に

 光から飛び出して気がつくと、そこは見なれた校舎裏だった。
 どしゃりと重みに潰されるように晦が地面に崩れ落ち、潰れた蛙のような声をあげる。

「帰ってきた……。四ツ柳、大丈夫か!?」

 晦を重みで潰していたのは、元の大きさに戻った四ツ柳であった。猫の耳も尻尾もかき消えて、シャツ一枚の姿で晦に片手で抱きかかえられながら跨がっていた。

「あ、も、元に戻ってる! 離して……っていうか服!」

「戻ってる、な。よかった! あれはあれで可愛かったけども……」

 シャツの裾を引っ張り、四ツ柳はばっと晦から飛びのいた。
 「持ってきてるぞ」と晦は腕にかけていた衣服を渡して、自身が着ていた白衣を四ツ柳の肩にかける。

「いや、いいって。女子じゃあるまいし……」

 四ツ柳はかけられた白衣を受け取って、いそいそと衣服を纏っていく。
 背後では共に帰還出来たらしい黒猫が、「にゃあ」と声を上げて毛づくろいをはじめた。
 顔だけそちらに目をやれば、「……猫、飼っていいかなあ」と呟きながら黒猫を撫でている晦が居る。勝手にしろと言わんばかりに、黒猫は晦に向けて「なーぁお」と鳴いた。
 どうやら異界から出たことで、黒猫の言葉は理解出来なくなってしまったらしい。
 とんとんとお気に入りの靴がぴったりと足にはまったことを確認して、四ツ柳は白衣を返そうと黒猫とじゃれあう晦に差し出した。

「言っとくけど、見つかったら大目玉だぞ?」

「そうだけど……怒られるのは先生だし! というか、生徒にそんな事を言うのが間違ってる気がしてきた……」

 落ち込んだ表情を見せながら白衣を受け取って袖を通す晦に少しだけ笑い、四ツ柳はしゃがんで黒猫の目線に合わせる。

「この学校で、目ぇつけられるのは困るんだけど……。さっきはお前のおかげで助かったもんな」

 ありがとなと言って黒猫の背を撫でると、にゃあとまた一鳴きしてぺろと撫でた四ツ柳の手を舐めた。

「こいつを隠しとおす算段をつけるなら、一緒に考えても良いけど?」

「……え、ほんとうか?」

「匿う場所が二つ三つあれば、ま、なんとかなるでしょ。どーにもならなくなった場合の弁解はよろしく」

「それは、全然! 先生のせいだからな。四ツ柳こそ、なにか言われたらはぐらかしておいてくれ……こっちでなんとかするから。ありがとな」

 にこにこと笑顔になった晦は、四ツ柳と晦を交互にみつめていた黒猫を白衣で隠すように抱き上げた。

「あ、作戦会議に先生の部屋来るか?」

「……え、いいの」

「きょうは、じゃなくて手伝ってもらうことだしな!」

「教職員寮かぁ……。ま、保健の先生なら言い訳しやすいしな」

 「多分そんな規則は厳しくないはず……」と晦は悩んだ顔で言うが、これが女生徒を相手にしていたのならば大問題だろうなとは思う。
 四ツ柳は顎に手を当てて考える。教職員寮は生徒が寄り付く用事も殆どなく、前を通りすがることすら稀なのだが……人間、誰しも時と場合を選ばず体調を崩すことはあるだろう。

「じゃー先生、俺今から具合悪くなるからさ。先生の部屋で診て欲しいな~~困ったな~~。二、三時間くらい様子みて欲しいな~~なんて」

 ぺろと舌を出して、四ツ柳は白衣の中の猫を更に隠すように晦にくっついて歩き出す。

「はっ……具合、どこか悪いとこあるのか?」

「先生がまず真っ先に騙されてどーすんだよ」

「いや、四ツ柳はハッキリ言わないとこあるから、もしかしてと……」

「うっ、いや、超元気だから安心していいよ」

 本当に体調に問題は無いんだろうなと四ツ柳の顔を覗き込む晦から、四ツ柳は目を逸らす。
 晦に言われる通り、寝たら治るだろうと自分の免疫力を過信して伝えないような気もした。

「せっかくだから何時間でも休んでいっていいぞ」

 そう優しく微笑む晦の表情は、子供を慈しむ保護者の顔だった。
 暖かい表情を向けられ、四ツ柳は懐かしさから胸がきゅっと掴まれるような感覚を覚え、顔ごと晦から背けた。

「四ツ柳は猫飼ったことあるか? 何が必要かなあ。名前は……野良だし、どうかな、つけるのも失礼かな」

 四ツ柳の心の機微には気付かず、晦は白衣の中の猫の顎をちょいちょいと撫でる。

「動物飼ったことはねえかな。名前どうすっかな? お前、名前あるのか? そういやオスメスどっちなんだ?」

 言われ、晦は黒猫をごろりと横抱きにして確認する。
「オス……だな」と呟くと、黒猫はふにゃんと鳴いて晦の顔を片手で叩いた。

「黒猫なら……ジジだな……」

「……俺もさあ、ちょっと思ってた」

「だよな!」

 爪の出されていない柔らかい手を顔から退けながら、晦はまた丸くなった黒猫を小さく抱えて嬉しそうに言う。
 ジジ。アニメ映画に出てくる黒猫の名前だ。確かオス猫だったと思う。

「喋り方も、ちょっとそれっぽかったんだよな。金ローで観た時のうろ覚えだけど」

「ジジ……話せてたのいいなぁ」

「猫になってた影響かと思うんだけど、それにしても何で俺だけだったんだろうな?」

 猫になりかけていた自分に比べて、この男は今回も異界では変わらずじまいだったな……と、四ツ柳は晦を一瞥する。

「ま、これからよろしくな、ジジ。お前が異界に出入りしてたこと、報告しないでおいてやるよ」

 白衣の中で大人しくしている黒猫に四ツ柳が顔を向けて言えば、黒猫は「にゃ」と短く返事をした。
 羨ましそうに、「話せてる感じいいな〜〜」と晦が呟く。会話が出来ているわけではないのだが。

「あ、報告ってそうだ。異界の調査の仕事だっけ? それについても詳しく聞きたかったんだ。丁度いいな」

「あ~~、先生の私室なら人に聞かれる可能性も低い、か?」

「ほら、この前貰ったぬいぐるみ。ありがとな。部屋にある……んだけど、やっぱお小遣いの出どころはっきり聞きたいよ」

「いや~~……話しとくかぁ……。部屋についたらな」

 茜色に染まった空を見上げながら、四ツ柳は考えを巡らせていた。どこまで伝えるべきなのかと。
 そうしていれば、ぽんぽんと晦の手が四ツ柳の頭を撫でる。

「無理しないで話したいことだけでいいぞ」

「必要だから話すんだよ、だいじょーぶだって。あんたは俺のシフター……レディなんだからさ?」

 優しく微笑んでいた晦の表情に、ぎゅうっと皴が寄る。そんな反応が面白くて、くつくつと四ツ柳は喉を鳴らして笑った。

「……妙なところ真面目というか。伝統にこだわらなくていいんだぞ?」

「え~~先生俺にレディって呼ばれんの嫌なの~~? 俺はレディって呼び方好きなんだけどな~~」

 自分で言っておきながらすこし気恥ずかしくなって、四ツ柳は隣に並び立つことをやめてぱたぱたと足早に晦の前に出る。
 気がつけば、教職員寮の目の前まで来ていた。

「嫌だったら呼ばねーよ。シフターである以前に、先生は俺の先生だしさ」

「ん、あーいや! 四ツ柳の呼びたいようにでいいんだけど。嫌? というか、こう、ちょっとむずむずするというか……」

 いきなり駆け出した四ツ柳を追いかけるように、晦も足を大きく開いてついていく。

「そういえば、シフターってなんだ……?」

「ま、それも含めて解説か」

 寮の玄関扉の前までやって来て、四ツ柳は晦に手を差し出した。

「じゃあ俺のレデイ? お部屋の案内、よろしく頼むぜ?」

「んんっ。いいんだけど、いいんだけどさ……。四ツ柳、モテそうだよなあ」

 もごもごと口篭もりながら、晦は四ツ柳の手を取った。

「レディに……ナイトか。確かに、守られてばかりだな」

 手をとっても見える風景は変わらない。
 二人と一匹は、暮れていく橙色に染まる洋館じみた寮舎の扉をくぐり、教職員が生活をしている廊下を足早に進んでいく。
 不自然にならないように気を配りながら、急ぎ足で晦の部屋へと飛びこめば、こざっぱりとした子供部屋のような空間が目に飛び込んで来た。
 本棚や棚には整頓されたぬいぐるみが並び、カーテンやラグは子供向けの可愛らしい柄があしらわれている。
 ベッドには、四ツ柳があげたアザラシのぬいぐるみが置かれていた。

「にゃあ」
 黒猫が一鳴きして、晦の手から飛び出して床へと着地する。「ジジ待って、とりあえず足拭いてから!」と慌てる晦を見て、残された一人と一匹は、顔を見合わせて笑った。



   七.異界調査報告書

 あれから数日後。
 ギィ、と音を鳴らす古びた椅子に腰かけて四ツ柳は今朝方届いた書類を封から取り出し、ぺらぺらと捲っていた。
 内容は学生支援機構からの奨学金について……の内容に扮した三日月財団からの報告書だった。
 先日、異界に迷い込んだ際の報告書を提出し、財団からの見解が届いたのだ。

”本来、異界の真の姿が見えるのはフェイズシフターの特性です。フェイズシフターを異界に留まらせる手法として、帰りたくないと思わせる穏やかな空間をわざと見せる性質を発現させたのでしょう”

 フェイズシフターが危険であると察知させ辛く進化した異界は非常に危険であり、改めて対策を講じるとの通達が添えられていた。

 一通り目を通し、「他の奴らも、騙されて連れ去られて無きゃいいんだけどな」と呟いて四ツ柳は書類を鍵のついた箱へとしまいこんだ。
 この学園内には、意図的に集められたフェイズシフターが幾人も居るのだろう。
 晦曰く、保健室にやってくる生徒たちの中には変異を病気として訴えて訪れることもあるらしい。四ツ柳の目には見えない上に、養護教諭にも秘密保持義務があると言われ、誰が変異しているのかは詳しく聞くことは出来ないのだが。
 以前、どうして聞いては駄目なのかと詰め寄ると「四ツ柳だって、自分の身体の異変について他人の口から語られたくはないだろう?」と優しく諭されてしまった。
 少し考えて見れば、わかることだったなと反省したことを思い出す。

 考えを巡らせていると、とんとん、と窓を叩く音が聞こえた。
 ここは二階なんだけどなあ……と窓のカーテンを開ければ、「にゃ」と鳴くジジの姿があった。
 窓の縁に器用に立って、窓を開けてくれとガリガリと引っ掻いている。

「わーかったわかった、大人しく待ってな」

 ガラリと片側の窓を開ければ、黒猫がぴょんと部屋の中へと降り立った。
 ぺろぺろと毛繕いをして、入室の際に身綺麗にしようと努めてくれているらしい。

「晦先生のとこみたいに、猫用のおやつとか出ねーからな」

 ここ最近、晦の自室にやってくるジジを随分甘やかしている様子を見ていた。頻繁にそちらにも遊びに行っているらしい。

「んなぁーお」

 残念そうに鳴いて、黒猫は床の上でくるんと丸まった。




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GM:まよこ/シフター:晦端午、PL:ゆかり/バインダー:四ツ柳諒
リプレイ小説書き起こし・扉絵イラスト・ロゴ:ゆかり

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